餃子の皮に自意識を包むログ

30代女オタクがついったに書きづらいことを書くブログ

普通肌って言うなよ、それは「理想肌」だろ

普通になりたい。なーんてことをよく思う。

中二病特有のあれじゃなくて、私はアラサー越えしたまぎれもなく何のとりえもない凡人だ。それでも「普通になりたい」と頻繁に願ってしまうのは、肌質のこと。

 

私の肌は、どう頑張ってもいわゆる「普通肌」にカテゴライズされえない。

脂性肌……と言えばわかりやすいが、正直「油田肌」の域に片足を突っ込んでいると思う。寝てもギトギト、起きてもギトギト、寝起きに目や鼻を擦ればぬるりとした感触でのお目覚めは約束されているし、朝書いた眉毛が会社に着いたら落ちていたりするし、夕方には化粧が全消滅しているのを「そんなになるまで頑張ってるんやね…」と温かい目で見られたりもしてきた。もちろんメガネはすごい勢いでずり落ちてくるので不便極まりない。

 

ちなみに脂漏性皮膚炎とかではなさそうだ。ニキビはこれまでの人生のお供だったが、症例写真で見るような状態になったことはない。単に人より脂がよく出る人間というだけだ。そんな状態で三十ンン年生きてきたのだが、「乾燥肌」「脂性肌」「普通肌」という分類にはいつもモヤッとした所感を抱いてきた。

 

普通肌という言葉に対してなされる説明は、(場所により揺らぎはあるものの)だいたいこう。

「水分と油分のバランスがちょうどよく、肌理が細かい肌」

これを見るたびに私は思ってしまうことがある。

そっか~、それが普通なんだねって。

水分と油分のバランスがよくて、毛穴もたいして開いてなくて、肌理が細かいということはかさついてない滑らかなお肌ってこと。へー、そうなんだ。ふーん。じゃあこの分類を作った人に言いたいことがあるんだけどいい? オッケー、言うね!

 

うっせえ!「普通」のハードルを上げてくれるんじゃねえよ!

「普通肌」じゃなくて「理想肌」だろうが!!

 

そもそもこの「普通肌」こそが目指すべき状態、目指すべき肌質として掲げられていることも少なくないように思う。

肌の白い黒い問題は横に置いておくとして、そんなもん「普通」じゃなくて「理想」やんけ。しょっちゅうそう思ってはふてくされてしまう。どうせ私は普通じゃないんですよって。普通じゃない汚肌なんですよって(私はまぎれもない汚肌です。いわゆる肌荒れはしてないけど、綺麗な肌とは口が裂けても言えない)。

 

「普通」じゃなくて「理想」という言葉にしてくれればな、とよく思う。理想を目指して努力をするのはとても励みになるプラスの作業かもしれない。なれなくても、いつか諦めがつくかもしれない。

しかし「普通」を目指すのは、マイナスを必死に埋める作業にほかならない。そしてなれないということは、普通からの落伍者であると同じなのだ。

そりゃもちろん、普通を目指すのも理想を目指すのも、どちらも正の方向へ向かうエネルギーなのは間違いないだろう。しかしあまりにもスタートラインが違っているように思えてしまうのは、私が傲慢なのだろうか。

 

「普通」と「平均」は違う。けれど「普通」という言葉を聞いた時に「平均」を想像してしまうことは少なくない。普通のラインがどこに設定されているかなんて曖昧なのに、だ。結婚して子ども二人以上産んで家買って車買って年に1回くらい家族で旅行に行ってetc…な生活が「普通」と言われてきたように。

だから私は、脂性肌が「普通でないもの」、ひいては「よくないもの」だと長い間思い込んでいた。(実際、脂性肌だと化粧および化粧をキープする難易度は高い)

治そうと意気込んで医者に行ったことも何度もある。けれど特に治らず脂が吹き出る、の繰り返しだった。そうなるうちに、私の自己肯定感とかそういうやつはいくらか削られてしまっていたんだと思う。特に何もしていないのに生まれつき肌が綺麗な友人と会っては、別れてから自己嫌悪に沈む、ということを繰り返していた。

何をしても、着飾っても、おしゃれしても、化粧しても、私の肌質は脂性肌だからすぐに汚くなる。一生汚いままなんだ、くらいの捉え方をしていた。だって私は「普通」にはなれないんだから。

 

けれど、今はそうは思っていない。いや、まだ思っているけれど、少し捉え方は変わった。

きっかけは2022年にアルビオンで買い物をしたときだ。推しカラーの単色アイシャドウがあることを美容院の雑誌で見つけて、その足で寄ってみた時のこと。

アイシャドウ自体は見たまま高発色で非常に気に入り、即お買い上げした。単色だからいうて2000円くらいである。肌の上でもきちんと発色する推しカラーは案外貴重だからまあ安い安い。

会計をしている時に横に置かれていた基礎化粧品のパネルを見ると、そこには「脂性肌」「乾燥肌」「普通肌」という記載はなく、代わりに「やる気肌」「はかなげ肌」「気まま肌」という分類がされていた。

・乾燥しやすく外的刺激に弱いのが「はかなげ肌」(≒乾燥肌)

・部分的な感想やゆらぎなどで時々トラブルに遭遇するのが「気まま肌」(≒普通肌)

・脂が多くごわつきやざらつきが出やすい肌質が「やる気肌」(≒脂性肌)

という分類だった。私はどう考えてもやる気肌だ。
私はこの分類が好きだ。普通になれない自分が少し救われた気になった。

そっか、私の肌は肌を守ろうとしてやる気出しすぎて空回ってたんだね。ありがとう私の肌細胞ちゃん、キミの気持ちは嬉しいよ……いやもうちょっと落ち着いてほしいけどもね。って。

普通肌になれないと思っていた時は、苦しかった。どうしてみんなあんなに肌が綺麗で、化粧が映えるんだろうって。でも、肌そのものがやる気を出し過ぎていたんなら仕方ない。この分類を見てからようやく肌に優しくしてあげようと思えて、諦めていたスキンケアにもう一度精を出すようになった。

そして今ではめでたく普通肌に……なんてことは勿論なく、せいぜいニキビができなくなった程度だ。たぶん加齢も大いに関係している。スキンケア編についてはまた別途書きたいなと思っている。そこらのキュレーションサイトに書いてある脂性肌対策とかあてになった試しないから。あんなん美肌の人間が書いてるやろ絶対(ド偏見)。


ここまでの話は、私が勝手に「普通」という言葉に囚われて身動きができなくなっていた、というだけの話だ。だから、美容業界がどうこう言いたいわけではない。

でも、もし万が一同じような落ち込み方をしている人がいたら、深く気にする必要はないよ、と言ってあげたい。
あなたの肌は「普通」になれないんじゃなくて、ただやる気に満ちていたり、刺激に弱い繊細さを具えていたりするだけなんだ。それはある意味で個性だ。すべてを個性に帰結させるやり方は好きではないが、それはそれとしてその個性に寄り添い、過ごしやすいようエスコートしてあげられる人間は、結局のところ自分しかいない。

だから「普通」という言葉に惑わされないでほしい。
「普通」は、概して「理想」の一片を含んでいるのだから。
普通になれない自分を責めるほど不毛なことはない。